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1137年の国王憲章から1870年の第2帝政の没落まで、フォンテーヌブロー宮殿はフランスの最も重要な時代に立ち会ってきた。

フランソワ1世の命により、昔の中世の要塞はルネサンス様式の宮殿に変身した。この時代、二人のイタリア人芸術家プリマティッチョとロッソはその才能を競い合い、ここで第1期「フォンテーヌブロー派」が形成された。

王の住居棟と三位一体礼拝堂をつなぐフランソワ1世の回廊は、羽目板にフレスコ画やスタッコの彫刻、君主の栄光を称えた木彫細工を施すという装飾パターンを展開した。

舞踏会の広間はプリマティッチョの指導の下、ヴァロア王朝時代の最後に完成した。アンリ4世とともに、ブルボン王朝に入ってからも工事は続けられ、内装の装飾は新しい構造を取り入れた「第2期フォンテーヌブロー派」の芸術家たちに任せられた。ルイ13世によって、父が手がけた工事を完了させられた。太陽王ルイ14世治世時代もこの城はよく使われ、1661年の太子の誕生、国王の姪の結婚式、1685年におけるナントの勅令の廃止はこのフォンテーヌブローで行われた。

ルイ15世とルイ16世は、秋にここに滞在しており、新たな大工事と室内装飾の美化の発端となった。革命後、ナポレオン1世が来たときには宮殿は全く空の状態であったが、城には手がつけられておらず元のままだった。彼は家具調度品を新調して、自分のお気に入りの住居にするために宮殿内を改装した。
フォンテーヌブロー宮殿の歴史
フォンテーヌブロー宮殿の歴史

ナポレオン・ボナパルトが、1814年の譲位に際しエルベ島への出発の前日まで、その最後の日々を過ごしたのもここフォンテーヌブローだった。

ルイ・フィリップは宮殿全体の修復を計画した最初の君主である。1852年の第二帝政時代、フォンテーヌブローは再び活気を取り戻し、ナポレオン3世は宮殿に非常に愛着を抱き、挺臣たちと定期的にここで過ごした。

ルイ15世翼にあるナポレオン1世博物館は、彼の日常生活の数々の品々、戦闘で使用した武器、贈られた品々を通して、皇帝とその家族を思い起こさせる。
ユジェニー皇后の下で整備された中国博物館では、極東の美術工芸品が展示されている。
フランスに3つ現存するうち最古と見なされているポーム球技場の部屋では、デモンストレーションや初歩の手ほどきが行われている。

この国有地は、毎年、巨匠と若いプロの音楽家を結集し、プロカルテット楽団とともに、室内楽ヨーロッパセンターを受け入れている。

ル・ノートルのフランス風庭園、英国風庭園、ディアナ(月の女神)に捧げられた噴水のある王妃のかつての庭園、ツゲの迷路あるいはまた別れの中庭は、年間を通して、一般に公開されている。そこでは、カルペの池のボート散策や4輪馬車での周遊も、楽しむことができる。

フォンテーヌブロー宮殿の国有地は、ユネスコ世界遺産に登録されている。
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